真・女神転生IV FINAL(ファイナル)

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2015 October 30真4Fと神話世界への旅

塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第2回 ダグザとケルト神話

メジャーなようでいて、あまり知られていない神話

そんな、『メガテン』ファンにとってはけっこう馴染みのある「ケルト神話」ですが、実のところその全容を知ることは実に困難です。その理由は、厳密な意味での「原典」がほぼ存在しないからです。「ケルト人」と呼ばれた人々の全盛期は紀元前4世紀から1世紀ごろとされているのですが、当時の人々は文字によって記録を残す習慣自体がほとんどなかったようなのです。いわゆる「神話」とされている物語はすべて「口伝」によって代々伝えられたもので、現在読むことができるものは後の時代に文字に起こしたものとなります。大半は中世期に記録されており、時代の隔たりはいかんともしがたいものです。伝言ゲームではありませんが、口伝えによって変化してもいるでしょうし、記録を行った人物がキリスト教の聖職者であることも多く、偏った解釈が記録されていることも少なくありません。
 より古い記録としては、古代ギリシアやローマの著述家による記録があります。もっとも有名なものとして、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』が挙げられ、実際に見聞きした「ガリア人(現在のフランス辺りに住んでいたケルト人)」の生活様式等が記されているものの、カエサルが接触したのはケルト人のごく一部に過ぎませんし、なんといっても自身が征服した相手のことですからその記録にも意図的な偏向がないとはいえません。プラトンやヘロドトスをはじめ、古代ギリシアの賢人たちも「ケルト人」についてなにがしかの記録を残しているのですが、自身が見聞きしたわけではない伝聞情報も多いようでどこまで内容を信じられたものかわかったものではありません。

こうした文献もそうですが、「ケルト人」と呼ばれる人々自体がつかみどころのない存在であることも問題です。
 全盛期とされる時代は紀元前4世紀から1世紀と前述しましたが、前段階と呼べる文化はその1000年ほども前からあったとされています。もともとはドイツのドナウ川上流辺りに住んでいたケルト人が、周囲の部族をどんどん吸収して勢力を拡大していきます。全盛期の頃までには、東は黒海の東側、西は現在のスペインやポルトガルのあるイベリア半島にまで広がっていました。各地にいたさまざまな部族とその文化を吸収していったわけですから、そもそも単一の民族というよりは同じ「ケルト文化」を持つようになった多数の部族の連合体といった方が実情に近いと思われます。
 ケルト文化は大きくふたつに分けられることが知られています。いわゆる「大陸のケルト」「島のケルト」という分類で、前者はヨーロッパ全域に広がって発展した文化、後者は海を渡って現在のイギリスにあたるブリテン島とアイルランドで発展した文化を指します。大陸はその全域が後にローマによって征服されてしまいますし、ブリテン島にもローマ軍は侵攻しています。ローマは属州を現地人に統治させるなど寛容な態度を取ったとされていますが、当時「野蛮人」と呼ばれていたケルト人たちが先進国であるローマの影響を受けないはずがありません。そんな中、「島のケルト」のアイルランドだけはローマの支配を免れたことからケルトの文化自体が原形に近い状態で残ったとされています。実際、現在「ケルト神話」として残っている資料にはアイルランドのものが多いのです。