真・女神転生IV FINAL(ファイナル)

TOPICS

2015 November 20真4Fと神話世界への旅

塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第5回 メデューサとギリシア神話

こんにちは、塩田信之です。毎週、『真・女神転生IV FINAL』に関係するふたつのキーワードをとりあげ、そのルーツや現代に及ぼしている要素などを深く掘り下げていくことで、『真・女神転生IV FINAL』の面白さを解読していきます。開発スタッフの談話や制作メモなどから、シナリオや設定にまつわるさまざまなこぼれ話も紹介する予定です。


第5回 メデューサとギリシア神話

古代ギリシアから見ても古代の物語

ギリシア神話は、世界的にみてもとても有名な神話です。ゼウスやアポロンなど個性豊かな神々、「トロイの木馬」で有名な「トロイア戦争」、英雄ヘラクレスやペルセウスなどの活躍するエピソードならば、日本でも映画などを通じて知っているという人も多いのではないかと思います。また、神話時代を思わせるパルテノン神殿を代表としたギリシャの遺跡群は古代へのロマンをかきたてる存在として、エジプトのピラミッドなどと並ぶもっとも有名な世界遺産のひとつです。

しかしながら、その神話がいつごろ、どんな人々によって作られたのかといったことについてはあまり知られていません。いわゆる『ギリシア神話』としてもっとも古くかつ重要とされているのは、ホメロスの二大叙事詩『イリアス』『オデッセイア』です。ホメロスは紀元前8世紀ごろにいたとされる詩人にして歌手で、「吟唱詩人」などと呼ばれたりもします。神殿などにいて、さまざまな儀礼の際に神話や歴史上の出来事を朗々と歌い上げていたようですが、当時は詩の原文などを文字で記録する習慣はなかったため、詩人は膨大な知識を元に即興も交えて吟じていたものと思われます。
 紀元前8世紀ごろにホメロスの手で作られ、詩人たちに歌い継がれたものが紀元前6世紀ごろフェニキア文字からギリシア語を記述するのに適した形に発展したギリシア文字を使って文書化されたことによって、現代でも読むことができるようになりました。とはいえ、ホメロスという個人が『イリアス』や『オデッセイア』という作品すべてを作ったということではないようです。彼自身も歌い継いだ伝統的な詩を、彼なりの解釈やアレンジを加えて完成度の高い作品にまとめあげた、というのが実像ではないかと思われます。
 叙事詩に歌われた物語は長い間フィクションと考えられていましたが、シュリーマンが「トロイア戦争」の舞台と目される遺跡を発見したことで、ある程度は史実が元になっていることがわかったことは歴史の教科書にも載っている事実です。ギリシャのあるバルカン半島とはエーゲ海を挟んで東側に位置するトロイアの遺跡は、現在のトルコ共和国に含まれます。かつては「イリオス」と呼ばれ、ホメロスの故郷だったともされていますから、『イリアス』というタイトルもこの地名からきていることがわかります。遺跡の調査から、「トロイア戦争」があったとされる時代は紀元前13世紀中ごろと考えられており、ホメロスが生きていたとされる時代より昔であることは間違いありません。

ところで、『イリアス』と『オデッセイア』が現在伝わっている形になったのは、時代が下って紀元前2世紀ごろのことです。ギリシアの南部にあったマケドニア王国にかの「アレキサンダー大王」がいて、ギリシア南部一帯のみならずエジプトまで支配していた時代に当たります。大王の死後部下だったプトレマイオス一世がエジプトのファラオ(王)を継ぎ、エジプト第二の都市アレキサンドリアに「大図書館」を建てました。この大図書館が徹底して世界各地の書物を集めてパピルスで写本を作っていたのですが、その中に『イリアス』をはじめとしたギリシア神話の主だった作品が含まれていたのです。
 実をいいますと、この時点ですでに『イリアス』や『オデッセイア』には本当にホメロスによる作品なのかという疑いが持たれていました。ホメロスには彼自身が神話の登場人物であるかのようにさまざまな伝説があって、後にその存在自体も疑われるようになります。紀元前2世紀の時点でも少なくともホメロス以後に書き加えられた箇所が多数あるとは考えられていて、原文だけを抜き出そうといった試みも行われていました。実際のところ、古代ギリシアは紀元前12世紀ごろにミケーネ文明が崩壊し、それまで使われていた文字も使われなくなっていたため記録というもの自体がほとんど存在しませんでした。そうした状態はフェニキア文字が伝わる頃まで続いていたため、考古学的にはその間を「古代ギリシアの暗黒時代」と呼んだりしています。紀元前2世紀といえば、日本では一般的に古墳時代が始まった頃とされ、我々の認識としては「充分に古代」なのですが、アレクサンドリア大図書館でホメロスの存在に疑問を感じた職員たちにとっては「さらに大昔」だったわけです。