2015 December 11真4Fと神話世界への旅
塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第8回 スクナヒコナとヤマト政権神話
オオクニヌシとスクナヒコナ
さて、今回とりあげるスクナヒコナという日本の神は、オオクニヌシの相棒として神話に登場します。日本の各地を廻って稲作を伝えたり、温泉による湯治を広めた「国作り」をともに進めたとされますが、さまざまな知識を持つが非常に身体が小さく、『一寸法師』のモデルにもなったとされる謎多き存在です。
『ナムジ』に登場したスクナヒコナは、よく同一視されるイザナギとイザナミの最初の子供だったが葦の舟で流された「ヒルコ」として描かれています。大人ではあるものの、身体が子供のように未発達で、豊富な知識がある分文字通り頭でっかちな姿をした人間という描写です。葦の舟で出雲の浜にやってきましたが、自力でできる行動が限られているため、ナムジに背負われたりすることで行動をともにし、治水政策などをその知識で支えるキャラクターでした。
オオクニヌシとスクナヒコナの行った「国作り」がどういったものだったのかは、『古事記』や『日本書紀』では詳しく語られていないのですが、一緒に旅をしていたことはさまざまな土地の風土記などに記されています。箱根や道後温泉がこの二神に由来するということは、『伊豆国風土記』や『伊予国風土記』に事実として記されているところです。非常に仲がよく、楽しげな旅をしていたことは各地に伝説として残っていますし、オオクニヌシがその後七福神の大黒様と同一視されたり、ヒルコであるスクナヒコナが恵比寿様とされることも考えると、この二神が広い地域の人々に好まれ信仰されていたことは間違いのないところでしょう。
そんなスクナヒコナですが、「国作り」が完了する前に忽然とオオクニヌシの前から消えてしまいます。『古事記』などの記述は非常にあっさりしたもので特に理由はなく、ただいなくなった、あるいは常世に帰ったといった形なのですが、『日本書紀』と『伯耆国風土記』にはスクナヒコナの撒いた粟が実ったときその穂に登り、弾けた勢いで常世に渡ったと書かれています。さまざまな伝承や後に伝わったイメージでもスクナヒコナの大きさはまちまちなのですが、粟の穂に登れるほど小さかったということで、おとぎ話『一寸法師』のルーツとなったこともなるほどと納得できます。『日本書紀』でスクナヒコナが登場する際の描写は、古くは「カガミ」と呼ばれていた「ガガイモ」の皮で作った舟に乗り、まだ「ササギ」と呼ばれていた「ミソサザイ」の羽根を衣として身体に巻きつけた姿となっていて、オオクニヌシが摘み上げて手のひらに乗せたという描写もあります。
スクナヒコナがいなくなってしまい、オオクニヌシは悲しみに暮れることになるのですが、そこにオオクニヌシのニギミタマ(和魂)ともされるオオモノヌシが現れ、三輪山に祭ることを条件に協力し「国作り」が完了することになります。
オオクニヌシとスクナヒコナの神話が各地の伝説と融合していることは、どちらにも多数の別名があることからも想像できます。各地の土着神と習合していくことで同一視される神が増えていった経緯が考えられ、オオモノヌシももともと三輪山の神だったものが、オオクニヌシの和魂と解釈することで吸収されていったのでしょう。さらにはオオクニヌシとスクナヒコナも同一存在とする解釈もあるのですが、大きな男と小さな男が協力し合いながら仲よく旅をしたほうが、オオクニヌシがひとりで旅をするより物語として面白いので、個人的には相棒説を支持したいところです。もっとも、オオクニヌシの全国行脚には日本各地でさまざまな女性(女神)と結ばれ子を成していく「妻問い」の物語でもあるので、ふたり旅では少々都合が悪い面もあったのかもしれません。神話上、「妻問い」と「国作り」は別に行われたことのように書かれているのですが、実際には同時に行われていたのだろうと考えられています。