真・女神転生IV FINAL(ファイナル)

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2015 December 25真4Fと神話世界への旅

塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第10回 チロンヌプとアイヌ神話

「原日本人」は「蝦夷」だったのか

ここまでずっと「エミシ」という言葉を使ってきましたが、「アイヌ」はいつ登場するのかと待ちくたびれているようでしたらごめんなさい。実は、ずっといたのです。「蝦夷」という言葉に差別的な意味が含まれているということからもわかる通り、大和朝廷側からの呼び方です。そう呼ばれていた本人たちがそう名乗っていたわけではありません。
 もっとも、「蝦夷」と呼ばれた人たちの中で現在「アイヌ」と呼ばれている人たちも、昔から自分たちのことを「アイヌ」と言っていたわけではありません。アイヌ語で「人間」を意味する言葉が「アイヌ」ですが、普段は地域や部族によって異なるグループ名あるいは「同胞」という意味の「ウタリ」を自称していたようで、「アイヌ」を自称するようになるのは自分たちを「蝦夷」と呼ぶ人々との関係上必要となる十数世紀になってからのことです。

いわゆる「蝦夷」と呼ばれた人々は関東以北に広く住む狩猟採集民族のことだったといわれています。大和朝廷の文化圏は稲作を中心とする農耕文化とともに広がっていますし、農耕民族から見たら狩猟採集民族は野蛮に見えたというのもわかる気がします。以前の学校における歴史教育では、狩猟採集を行い縄文式土器を使っていた「縄文人」たちが、大陸から移り住んできた稲作と弥生式土器を使う「弥生人」によって西から東に追いやられていったという風に教えていました。また、東北地方にはアイヌ語由来と思われる古い地名がたくさんあって、いわゆる「アイヌ人」が広い範囲に渡って住んでいたのは確かと考えられています。
 こうした条件づけから、「原日本人」と呼べる「縄文人」は「アイヌ人」で、渡来人たちに北海道まで追いやられていったのだ、という考え方が近代日本で一般に広く認知されるようになりました。アイヌに古くから伝わる、神々について歌った謡をまとめた『アイヌ神謡集』が大正12年(1923年)に出版され、アイヌを「悲劇の民族」とする見方が一気に広がったことがその一因だったと思われますが、「原日本人」という考え方が当時の日本人の夢を掻き立てるロマン溢れる概念だったのも確かです。
 結論から言ってしまうと、縄文人はアイヌ以外の人々が大部分でアイヌはそこに含まれるものの主流ではなかったようです。近年は三内丸山遺跡などの調査から「縄文時代」がかつて考えられていたものとはだいぶ違ってきています。狩猟採集を行っていた人々も決して「原始的」ではなく、日本という四季のある豊かな土地だからこそできた「農耕を選択しなかった」人々だったということがわかってきました。結局のところ、多くの縄文人たちはやがて農耕文化に移行していくわけですが、アイヌは古くからの伝統を「神謡」などの文化とともに生きたまま現代まで受け継いだ世界的にも稀な人々であったということになります。