真・女神転生IV FINAL(ファイナル)

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2016 February 05真4Fと神話世界への旅

塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第15回 テンカイと江戸曼荼羅

天海僧正という謎の人物

今回取り上げる「テンカイ」も、そんな歴史上のスーパーヒーローのひとりといえるでしょう。戦国時代の終わりごろから江戸時代初期にかけて実在した人物で、江戸幕府を開いた徳川家康に仕えた天台宗の僧とされています。
 江戸の都市計画を行った人物として知られていて、中国の風水などの思想を取り入れて、江戸城からみて北東の「鬼門」と南西の「裏鬼門」に上野の寛永寺や東京タワーの隣にある増上寺を置いて霊的な守護にあてたといいます。

そんな天海のどこが謎かといえば、やはり出生が明らかではないというところです。13・4歳ほどのまだ少年時代に出家したとされますが、出家以前については弟子にも語らなかったとされ、確たる記録はありません。
 現在「喜多院」と呼ばれている埼玉県川越市の寺で住職となりますが、その頃すでに徳川家康の信任も厚かったようで、関ケ原の合戦にも同行し参謀役を務めたとされます。家康が江戸に幕府を開くことを決めた背景にも、天海の助言があったと考えられています。

江戸城には八方に法具を配置する天台密教の護国祭祀「安鎮家国法」が施されているのですが、江戸の四方を中国の四神(北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎)が守護したり、「五色不動」と呼ばれる五色が割り当てられた不動尊が鎮護するといった考え方は中国古来の「五行思想」に基づいたもので、奈良の平城京や京都の平安京と同じく中国の都市設計を参考に取り入れたものです。「鬼門」や「裏鬼門」から邪気が入ってくるといった考え方もここからきており、いわゆる「風水」も同様です。非常に大きなスケールで造られた霊的防御と考えることができるわけですが、これが現実となったのは家康がとうに他界した三代将軍家光の頃のこと。天海はもとより生年がはっきりしませんが、当時の平均からすると非常に長命であったとされ、没した1643年には100歳を超えていました。奇妙な方術を使ったという逸話も残っているのですから、民衆に伝わっていったイメージは西洋の魔術師じみたものだったのかもしれません。

江戸城を中心に霊的防御を取り入れた都市計画は「江戸魔方陣」などと呼ばれることがありますが、天台宗には最澄の弟子円仁が伝えた『熾盛光仏頂曼荼羅(しじょうこうぶっちょうまんだら)』という円形の曼荼羅があります。護国・防災の修法に使われるこの曼荼羅は何重もの同心円に多くの仏が配置されたもので、天海が住職を務めた日光の輪王寺にも安置されました。江戸城の螺旋状の堀などを見ると、都市計画の原型的イメージにはこの曼荼羅があったのではないかとも思えます。

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