2015 November 20真4Fと神話世界への旅
塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第5回 メデューサとギリシア神話
神々の物語から英雄の物語へ
さて、トロイア遺跡の調査によって「トロイア戦争」が大雑把に紀元前十数世紀に起こったということが確実視できるのならば、ギリシア神話の神々あるいはそのモデルとなった存在もその時代に活躍していたということでしょうか。
結論から言うともちろんそう単純にはいかないのですが、『イリアス』をはじめとする「トロイア戦争」を描いた叙事詩には、架空の物語としての『神話』だけでなく、実際の『歴史』が織り交ぜられている可能性があります。「トロイア戦争」は、当時のギリシアとトロイア(イリオス)の間で行われた戦争を描いていますが、ギリシア側にせよトロイア側にせよ、基本的には人間の社会として描かれています。ギリシア軍の総大将アガメムノンはミュケーナイ(古代ギリシアに先立つ「ミケーネ文明」の中心地と考えられる都市)の王で、弟のスパルタ(古代ギリシアの全盛期にアテナイと並ぶ大きな勢力を誇った都市国家)王メネラオスの妻ヘレネを誘拐したトロイアの王子パリスに報復するため戦争を起こしたということになっています。物語上はここにギリシア神話のさまざまな神々が絡んでくるのですが、色恋から戦争に発展してしまうという愚かしいエピソードであるがゆえに、いくばくかの真実が含まれている印象があります。考古学的にはアガメムノンにしろパリスにしろ、実在あるいはモデルとなった存在がいたという事実も確認できないのですが、『イリアス』が神殿等で歌われた詩であるなら実際に起こった出来事を下敷きに、それは神の干渉があって起こったことだったのだとすることで真実味を持たせたのではないかと思われます。
物語上の「トロイア戦争」では、人間たちの軍が衝突するだけでなく神話的存在としての「英雄」たちが活躍します。もっとも有名な存在は、不死でありながら弱点である「アキレスのかかと(アキレス腱)」を突かれ命を落とすアキレスです。アキレスは父である都市国家プティアの王ペレウスと海の女神テティスの間に生まれた半神と呼べる存在で、父方の曽祖父はゼウスということになっています。父ペレウスもギリシア神話の英雄とされていて、「トロイア戦争」以前に行われている「アルゴー船の航海」の乗組員のひとりです。
神の血を引く英雄という意味では、パリスも六代ほど遡るとゼウスの子ということになりますが、ゼウスほど女神や人間の女性以外にもわたる多数の相手と子供をもうけた神もいないので、都市国家の王あたりになるとみんなゼウスの係累ということになりかねませんし、まあ普通の人間と変わらない存在です。対するアガメムノンやメネラオスも、牛の頭を持つ怪物ミノタウロスを生んだクレタ島のミノス王を先祖とするなど神に近い系譜を持つ英雄と言っていい立場です。
物語上、ゼウスたちいわゆる「オリュンポスの神々」は戦争の当事者ではなく間接的に関わっていることを考えると、「トロイア戦争」はあくまでも人間同士の戦いです。ギリシアに限らず、国家の指導者や王族、あるいはめざましい活躍をした伝説的な人物を「神の係累」あるいは「神そのもの」として崇めることは珍しいことではありません。神そのものではなく、神の血を引く「英雄」が活躍する物語も「神話」の一種と言うことはできますが、そうした物語が成立する背景には実在の人物が「神の威を借りていた」ことが窺えます。古代エジプトのファラオなどにそうした例は多数見られますが、王は自身を神と同一視させることで民を従わせていました。日本もアマテラスを神祖とする考え方は同じといえます。
こうした「英雄」神話は、元になる神話が広く信奉されていることを前提に後代に作られます。いくら王様でも、誰も知らない神様を「自分の父」だと主張しても民衆に信じてもらえるわけはありません。これはギリシア神話においても同じことで、英雄たちの物語はゼウスたち「オリュンポスの神々」が信仰されてきた土台の上で成り立っています。
古代ギリシアはギリシアと呼ばれる以前から地域ごとに異なる神を信仰していたことが、神殿等の遺跡からわかっています。古代ギリシアの宗教的中心地と考えられているデルフォイにはアポロン神殿があって、シビュラと呼ばれる巫女たちが神託を行っていたことが神話中にも描かれています。古代ギリシアでもっとも力を持った都市国家で、現在のギリシャの首都でもあるアテネはその名の通り主神ゼウスの娘アテナを守護神としていました。いわゆる「オリュンポスの十二神」たちはそれぞれが地域あるいは民族の神として信仰されていた存在だったのでしょう。神話において「英雄」と呼ばれる存在は、古代ギリシアにおいて新興の都市国家などが王あるいはその祖先を神に等しい存在として造り上げたキャラクターだったのかもしれません。例えば、ギリシア神話でもっとも有名な英雄のひとりがヘラクレスですが、アレクサンダー大王のいたマケドニア王国では王族がヘラクレスの末裔であるとして国家の正当性を主張していました。