2015 November 27真4Fと神話世界への旅
塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第6回 ミロクと仏教の救済思想
人々を救う神と一部しか救わない神
仏教が「ミトラ」を吸収し「弥勒菩薩」に発展させたという考え方は定説と呼んで差し支えないようですが、3世紀ごろのインドにマジトレーヤという名の僧が実際にいて、その人物が「弥勒菩薩」のモデルとなったという説もあります。
3世紀のインド僧マイトレーヤは「すべての事象は認識によるもの」とする考え方「唯識論」の発案者とされていて、「大乗仏教」の根幹となる考え方のひとつとなるのですが、このマイトレーヤについては実在したかどうかも含めて議論の対象となっています。
そもそも弥勒は、仏陀と呼ばれる存在がゴータマ・シッダールタ以前にもいて、ゴータマ・シッダールタの後に現れる仏陀という位置づけです。これはゴータマ・シッダールタと呼ばれていたものが弥勒として復活するという風にも解釈でき、キリストの復活とともに「審判の日」がやってくるという考え方とも共通します。
弥勒がやってくる時がいつか、というのもその昔からいくつのもの説があって、56億7000万年後というのは一説に過ぎません。仏教の経典によっては「人の寿命が8万歳になった時」ともされていて、56億年もそうですが途方もない未来としか言いようがありません。そもそもいつなのか分からないのだから、すぐに来るかもしれないし、遠い未来なのかもしれない、というのが宗教の教えとしては信者獲得に繋げやすかったのではないかと思われます。
もっとも、その昔「一部の民を救う神」では信者数が打ち止めとなってしまったのと同じように、「すべての民を救う神」という概念にもやがて限界がやってきました。
神に救いを求める人々は、自分が死んだ後の来世で救われることよりも、今の現実で救われる「現世利益」を求めるようになります。現行の多くの宗教は、経典を拡大解釈することで「祈れば現世でも救いが得られる」などという形でそうした要求に応えてきましたが、そうそう都合よく奇跡的な出来事が起こるわけではありませんし、「いつかきっといいことが起こる」というだけでは信者側にしてみれば慰みにもならないというものです。
そんな状況を考えると日本的な「無宗教」という概念は実に現代らしいものと言えますが、そうした状況は即物的な救いを売りにした「新興宗教」が発生しやすいとも言えます。そういえば一昔前に話題になった新興宗教も「マイトレーヤ」という言葉を使っていたことなども思い出されるところですが、人々は今も救いを求めているということは厳然たる事実なのかもしれません。結局のところ現時点では「ミロク」という存在は予言されているだけの、架空の存在に等しい不確かな存在ですが、そうした存在を待ち望む気持ちは現代の人々も持っているのだと思います。
さて次回は、「オーディンとゲルマンの神々」のテーマでお送りする予定です。お楽しみに。
塩田信之(NOBUYUKI SHIODA)
故成沢大輔氏と共に「CB’s PROJECT」を立ち上げ、『真・女神転生のすべて』『デビルサマナー ソウルハッカーズのすべて』など、これまで数多くのメガテン関連の攻略本やファンブックに携わってきたフリーライター。近著は『真・女神転生IV ワールドアナライズ』(一迅社)。
※ゲームに関する記述は取材と開発スタッフによる監修に基づいています。歴史・宗教観については諸説あり、ライター個人の解釈に基づいています。