真・女神転生IV FINAL(ファイナル)

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2016 March 18真4Fと神話世界への旅

塩田信之の真4Fと神話世界への旅
補遺編1 クレオパトラとエジプト文明

クレオパトラの生きたエジプト文明末期

クレオパトラはエジプト文明「最後のファラオ」としても知られています。ナイル川流域には紀元前3500年くらいには初期の王朝が作られたとされ、「世界最古の文明」と考えられているシュメール文明と並ぶ古さと、クレオパトラが自殺しローマ帝国の属州となった紀元前30年までの非常に長い歴史があります。その中でクレオパトラがファラオだったのは最後の21年間で、エジプト文明はすでにだいぶ以前から末期状態にありました。

普通エジプト文明といえば、クフ王らによってたくさんのピラミッドが作られた「古王国時代(紀元前2650年から紀元前2200年ごろ)」や、少年王ツタンカーメンで知られる「新王国時代(紀元前1540年から紀元前1200年ごろ)」を思い浮かべることが多いと思いますが、そうした時代はクレオパトラから見ても「古代」と言うべき大昔のことで、新王国時代の終わり頃から長い時間をかけて衰退しながらもなんとか国家の体裁を保ってきたという状態です。

紀元前1000年以降は弱体化したエジプト文明がたびたび他民族に攻め込まれ、ナイル川の上流からきたヌビア人や、メソポタミアからきたアッシリア、アケメネス朝ペルシアに征服・支配された後、紀元前332年にアレクサンダー大王によって征服されています。以降、エジプトはアレクサンダーと同じマケドニアからやってきたプトレマイオスの家系がファラオとなります。その首都が、このコラムでも何度か取り上げてきた大図書館と大灯台で有名なアレクサンドリアです。

さまざまな他民族に支配されてきたエジプトですが、非常に古い文化は基本的に尊重され宗教や神話も存続していました。ギリシャ人(マケドニア)もそれを踏襲し、エジプト王朝では通例とされているものの本国ではタブーだった王の子である兄弟姉妹間での結婚まで受け継いでいます。クレオパトラは、そのプトレマイオス1世から数えて14代目となるファラオで、正確には「クレオパトラ7世」にあたります。プトレマイオス朝にはプトレマイオス5世の妃としてシリアのクレオパトラ1世が嫁いで以降、女子はクレオパトラの名を受け継ぐことが多かったのです。

エジプト古来の文化は残されているものの、アレクサンドリア自体は非常にギリシャ的な都市で、王族のクレオパトラたちはギリシャ貴族風の衣装や習慣で生活していたようです。ファラオとしてエジプトの民を前にした儀式などではエジプト風の衣装を身に着けることもあったのでしょうが、普段はあまりエジプト風の格好はしていなかったと思われます。

クレオパトラはギリシャ風のネオス・ディオニュソスの名前を持つ父親プトレマイオス12世の死後、短命に終わる姉のクレオパトラ6世、ベレニケ4世の在位期間の後、弟のプトレマイオス13世と結婚した共同統治者となります。プトレマイオスの家系はもともとエジプトの民からはあまり好かれていなかった上、姉たちの在位期間が短かかったことにも象徴されるように後継者争いも激しかったようです。クレオパトラは夫でもある弟を裏切ってカエサルに寵愛されファラオとなったわけですから、エジプトでは長らく「裏切り者」として嫌われることになりました。