真・女神転生IV FINAL(ファイナル)

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2016 January 29真4Fと神話世界への旅

塩田信之の真4Fと神話世界への旅
第14回 アドラメレクと邪教の魔神たち

悪魔をつくり出した人々

次は、キリスト教と一緒にやってきた「悪魔」が、西洋でいつごろ生まれたのかを考えてみましょう。

「デーモン」という言葉はとても古くからあって、古代ギリシアまで遡ることができます。ギリシア神話の中で霊的な存在を「ダイモン」と呼んでいて、この言葉自体には「悪しき」イメージはないのですが、元々ヘブライ語で書かれた『旧約聖書』がギリシア語に翻訳された際にこの言葉をあてたため、悪魔が「デーモン」と呼ばれることになったとされています。

もっとも、『旧約聖書』には基本的に「悪魔」という言葉は出てきません。「ダイモン」のあてられた部分は「悪霊」と訳されていて(以降、『聖書』の日本語訳表記に関しては日本聖書教会発行の「新共同訳」の表記によります。日本聖書協会の公式サイトでは聖書の全文を検索することもできます)、これは「異教の神々」を指しています。

ここでいう「異教の神々」は、おおむね「バアル」を主神とする、カナン地方で信仰されていた神々を指します。バアルは第13回で取り上げた「オリエント神話」を伝える中東やシリアで広く信仰されていましたが、『旧約聖書』でユダヤ民族が神から『約束の地』として与えられる「カナン」(もしくはカナアン)の信仰でもあったため排除すべき異教の神々として名前が出てくるのです。
 民族を率いてエジプト脱出を率いたモーセがシナイ山に登って「十戒」を神から授かる有名なエピソードには、モーセがなかなか山から降りてこないので待ちかねたユダヤ人たちが、身に着けている金の装飾品を集めて溶かし、若い雄牛の像を作ってそれを神と崇め始めてしまいます。雄牛はオリエント神話における豊穣神の象徴なので、この雄牛もバアルに通じるものと思われ、モーセの率いたユダヤ人たちが元々崇めていた存在であることもうかがえます。モーセは怒った神にそのことを知らされ急いで下山し、雄牛の像も粉々に砕いてしまうわけですが、これが「十戒」のひとつである「偶像を崇拝してはならない」という教えに繋がっていくわけです。

今回取り上げる悪魔「アドラメレク」も、バアルの仲間といえる存在です。現在のパレスチナ、ヨルダン川西岸地区と呼ばれる地域の北部は『旧約聖書』の中で「サマリア」と呼ばれており、オリエント地域のひとつである「アッシリア」からやってきた人々が住んでいました。『旧約聖書』の「列王記 下」には「子供を火に投じて、セファルワイムの神々アドラメレクとアナメレクに捧げた」と書かれています。聖書にはそれ以上の情報はないに等しいのですが、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』に取り上げられたことで、クジャクのそれによく似た羽を広げた姿が知られるようになりました。「メレク」にはヘブライ語で「王」という意味があり、別名として「バアル・アドラメレク」と呼ばれることもあるようです。

さて、モーセが行ったことは多神教としての古い宗教から一神教への改革だったと考えられるのは、『旧約聖書』のあちこちに頻繁に見られる「神々」という言葉の存在です。「悪霊」という言葉は稀にしか使われませんが、唯一神以外の神々を崇めるなといった表現は頻繁に入っていて、この時点では異教の神々を「悪魔」とまでは捉えていない状況がうかがえるのです。そして、『聖書』に「悪魔」という言葉が登場するようになるのは、キリスト教の聖典である『新約聖書』以降となります。

「悪魔」の概念が確立したのは、イエス・キリストの死後の「原始キリスト教」の時代で、当時盛んに深化が試みられていた神秘思想(第4回)の中でと考えられています。ゾロアスター教の主神アフラ・マズダに対する悪神アンリ・マンユのことを参考にしたとも思われますが、唯一絶対の神を信仰する上で発生する「なぜ悪行が横行する世界を神が許しているのか」といった疑問からそれらの原因を転嫁する対象として「悪魔」が作られたということでしょう。

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